NTT退職者岐阜地区歩こう会 小牧山城を探索!!

 ◇ 令和7年11月25日

 ◇ 小牧市のシンボル、ランドマーク小牧山城

 ◇ 男兵士 11名、女兵士 2名

 信長公から、かって自らが築き移り住んだ小牧山城の探索を命ぜられ、岐阜駅前に11人の老兵が集りました。名鉄各務原線に乗車、途中の関所で2人の兵士が乗り込み総勢13名の少数精鋭、電車内では周りを警戒しながら静かに進むべきところが、それぞれの近況や残してきた仲間兵士の話で、ワイワイガヤガヤでした。名鉄小牧駅では、小牧山城探索の手筈の説明を受け、降り始めた小雨の中、陣笠をかぶり傘を片手へ兵を進めました。城を取り巻く堀の多くの大きな鯉や数匹の鳥(鷺?)に迎えられ、麓の「れきしるこまき(小牧山城史跡情報館)」に到着、約半里(2㎞)の行程を濡れた路面で滑らないよう気にしながらのゆっくり行進でした。「れきしるこまき」には、小牧山を取り巻く信長、秀吉、家康時代に歴史が模型や映像で紹介されており、少し当時に思いを馳せました。

 その後、持参のおむすびを頬張りながら、軍議。足元が悪いことから、少し自信のある兵士(7人)だけで標高89.5mの山頂の天守「小牧山歴史館」を目指すこととしました。途中、「近世城郭のルーツ」とされている信長が築いた石垣を観ながら歴史館へ。館内には織田信長や徳川家康などの戦国武将たちの戦略の謎など《岐阜市茜部在住の堀弘会員の先祖で、信長に仕え大活躍されたとされる兵士〈馬廻 堀秀政 ※〉の記述もあり》が紹介されており、ここでも少し当時に思いを馳せました。天守からは四方遮るものがなく一望でき、感激。信長は美濃の斎藤氏を攻めるために美濃方面を一望できるここに城を築いたとされ、北西方向を見わたすも曇り空で稲葉山は確認できず、残念。 下山後は、名鉄電車で岐阜駅へ帰り、有志が街角の茶店で少しアルコールを入れて休憩して帰宅しました。なお、兵士全員による戦果の写真報告は、機を逸しました。 (田原 智 記) ※(齋藤道三の家臣である堀秀重の長男として美濃国厚見郡茜部で生れ、13歳の若さで織田信長の小姓・側近に取り立てられ、次第に奉行職だけでなく戦場でも活躍するようになった。小さい頃から頭も顔も良く秀吉に信頼され、戦いが上手、外交もこなせ人望も厚かったとされ、数々の合戦で活躍、味方の不利な状況では機転を効かせた行動により味方を勝利させたとされる。)

 (追記 この日の探索の道筋では、カラフルな傘、多くの手形の入った巾着の忘れ物を見つけ、関所役人に届け少しいい気分でしたが、一人の兵士が茶店で陣笠を忘れ、翌日もらいに行ったとのこと。♪!?・・)